中国政府は、1895年の尖閣諸島の日本領への編入から、東シナ海に石油埋蔵の可能性が指摘され、尖閣諸島に注目が集まった1970年代に至るまで、実に約75年もの間、国際的に確立された日本による尖閣諸島の領有に、一切の異議を唱えませんでした。1971年6月には、台湾「外交部」が、また、1971年12月に中国外交部が公式に尖閣諸島への領有権を主張するに至りました。
1953年、中国共産党の機関紙である人民日報が発出した論説の中には、琉球諸島は尖閣諸島を含む7つの諸島からなる旨の記載があります。当時、中国共産党として、尖閣諸島は台湾の一部ではなく沖縄の一部であったと認識していたことを示しています。