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歴史・文化

尖閣諸島の領土編入の背景

19世紀後半まで、尖閣諸島は、
どこの国の支配も及んでいなかった琉球周辺の無人島でした。

尖閣諸島は、東シナ海を行き来する船に航路標識として利用され、琉球国の資料や航海図に記載されるなど、古くから知られる存在でした。

しかし、無人島だった尖閣諸島は、1895(明治28)年に日本が領土編入するまで、どこの国にも統治されたことはありませんでした。

また、江戸時代、琉球国は、清国との朝貢関係を継続する一方、薩摩藩の支配下にあり、江戸幕府は琉球を薩摩藩の一部とみていました。

明治維新後、1872(明治5)年に琉球国は琉球藩に改められて日本への帰属が明確化され、1879(明治12)年には沖縄県が設置されました。

尖閣諸島の領土編入の背景
航路が描かれた琉球の巻物
航路が描かれた琉球の巻物

琉球国那覇港と中国福州港の間の航路が描かれた巻物(作成年代不詳)。福州港を出帆した船は、魚釣島-久場島-久米赤島(大正島)-久米島を通過して那覇港に帰港していたことが読み取れる。

尖閣諸島は、明・清朝の使節の記録(冊封使録)など中国の記録にも登場するが、この図は、島の名称を記す際、上に冊封使録の呼称(例:黄尾島)、下に琉球における呼称(例:久場島)を併記している点が特徴的。

渡閩航海図 所蔵:沖縄県立博物館・美術館(渡閩航海図)